真夏の甲子園
今年の夏休みはみんなの予定が合わないうえ、我が家の受験生は連日、夏期講習に行っていた。
どこにも行かない夏休みも寂しいなと思い、受験生を除く家族で数年ぶりに甲子園へ高校野球を見に行った。私は野球にそんなに詳しい訳でないが、高校野球を見るのが好きだ。
今回はかなり奮発して、中央指定席を取り、この時点で私は4試合全て見る気、満々だった。
朝の甲子園。第一試合の途中から観戦。一気に別世界の扉をくぐったような、球場に入った瞬間が好きだ。朝から暑いが、やはり甲子園には青空が似合う。この日は広陵が力出しきれず、打つし、守るし、やはり東海大相模は強かった。
第二試合。ちょっと雲ってきたので、暑さはマシだった。ここでお昼ご飯にする。甲子園と言えば、カレーが有名なので、こんなに暑い中でも、チョイスしてしまった。子ども達はその時の気分でピザとポテトを食べていた。何だかアメリカンだ。食べ終わると、体の中までポカポカしていた。途中、どちらが勝つのかハラハラしたが、関東第一が勝った。西部警察のメロディーがカッコ良い。席から明徳義塾高校の馬淵監督が見えた。星稜戦はいつまで経っても忘れない試合だ。
第三試合
オレンジに染まる三塁石橋高校アルプス。応援の熱量が伝わる。9回裏には、「何とか一点を!」と自分も含めて、席の周りは石橋応援団になっていた。公立高校らしい伸び伸びとしたナイスなチームだったが、やはり青森山田は強かった。この時はこのチームは決勝まで残るんじゃないかと思ったけれど、準決勝の試合ではホントに惜しい試合だった。
第四試合
だいぶ体が疲れてきた。クーリングタイムに少し動くようにした。今度は緑に染まる三塁アルプス、元気でパワフルな滋賀学園の応援。場内、場外共に勢いのある滋賀学園が霞ヶ浦に勝った。
朝の青空から曇り空、夕焼けからナイターへ変わりゆく甲子園。翌日の早稲田実業の監督が言っいたな。甲子園のナイターは美しかった。こんなに長時間、甲子園で過ごしたのは初めてだった。日本中、色んな場所から人が集まり、帰っていく。今まで深く考えたことはなかったが、何だか、不思議な空間だ。
帰宅時、すっかり夜になっていたけど、電車の中でも、頭の中では大歓声と吹奏楽の音楽が残っていた。この日、何度、自分は紅と狙いうちとサウスポーを聞いたのだろう。
翌日、旅行帰りより、体のダメージは大きく思えたが、半日で回復したのも、銀盤のおかげだろうか。暑くても、疲れても、また、行こう夏の甲子園。
追記
今日、甲子園の決勝をテレビで見た。延長の末、京都国際高校が優勝した。関西勢の優勝はやっぱり嬉しいが、試合を見た縁もあり、関東第一高校もどこか応援していた。9回まで互いに隙のない守備が続いて、本当に力が互角の試合で、印象に残る決勝戦になった。高校野球が終わると、一つ季節が進んで秋が近づく。暑さは続きそうだけど今年の夏が終わるような、少しばかり寂しさを感じている。
思うは招く
先週末、同志社大学にて植松努さんの講演会に行っ出来たので、忘れないうちに書き残しておこうと思う。
夏の京都はほんとに暑い。昔に行った京都市科学館に夏の京都と砂漠の環境体感ルームがあった。同じ気温なのにカラッとした砂漠の暑さに対し、京都は湿度が高い分、体が重たくなる暑さだった。
夏期講習の上の子以外、大量の汗をかきつつ、家族4人で会場に到着する。休日の大学は人影なく、ガランとしていたけれど、まるで海外の建築のような校舎が並び、構内を歩いているだけで観光気分になる。
植松努さんと言えば、下町ロケットのモデルになった「植松電機株式会社」の社長で、著者を読んでから、いつか会ってみたいなと思っていた人の1人だった。うちの子ども達にとってはYouTubeのTedに出ていた人と言う認識だった。
5年前、同じ場所でこの講演会があったらしい。今回も沢山の人が集まった。同じ日に同じ場所でやりたいと言う主催者の方の想いがあり、それでもって、私も今回、参加することが出来てホントに感謝だった。
植村さんは、人口が減り続ける日本、その数は昨年は鳥取県の人口と同じ程であり、これからの時代は人が増える時代と同じ感覚での、進学や常識だけでは通用しないだろうと話していた。
また、日本の国力低下は偏差値や学力向上主義にも原因があるのではないか。現在、ロケット事業が増えつつ中、人が足りないと言う声を聞く。ロケットの研究者はいるが、それを形に出来る技術者が足りていない現状を語られていた。
宇宙飛行士は1人で宇宙には行けないし、人の命をすくう「医者」というのは手段の一つ。食べ物は健康を支えるし、歌や漫画で元気をもらう人もいる。人の命を助ける方法は沢山ある。夢はぼんやり沢山考えて良いんだよ。「何がやりたいか」が大切で、進学や就職は手段になる。強い、賢いが生き残れる訳ではなく、変化に適応できるものが生き残っていく。子ども達の15年後は世界を救うこともある。
学力向上主義
うちの子ども達はまさにその渦の中にいているような気がする。昨年、真ん中の子が中学校のHRで受験前に想いを伝えると言うような時間があったらしい。担任は周りへの感謝を伝えて欲しかったようだけど、偏差値、塾の模試が良かった、自己評価イコール点数のような、強気な発表が続いていたらしい。そういえば、成績順で決まる塾の席の場所や塾でのクラスで友達を判断しているような話も耳にすることがある。割と教育熱心な地区と言われているが、その反面、中学では不登校数も増えつつあるのもまた現実だ。
講演中、先日に読んだ、京都大学大学院教育学研究科教授の明和政子さんの「マスク社会が危ない」という本を思い出していた。
コロナ渦の感染対策がなされていた中でも、子ども達の学力低下はなく、問題はなかったと解釈されているが、著者はそのことに危機感を抱いている。机上の学び以外の活動を行う選択肢がなかった時期に、学力という指標だけでは評価できない能力、たとえば感性や協調性、社会性といった能力は全く反映されていない。
客観的指標による他者との比較だけでなく、昨日の自分より今日の方が良いという、自ら実感できる経験を得ることがヒトにとっても、真の幸福に繋がるのではないかと言うことだった。
植松さんもまた他社評価が自己評価になりつつ時代を危惧されていた。大好きなことが人生のパワーになり、好きと必要が出会えば仕事になることもある。テストの点だけで、夢や可能性を奪われてはいけないし、大人の憶測と偏見で諦め方を教えているんじゃないか。人の出会いには意味がある。会いたい人に近づいてみようと言うメッセージを語っていた。
自分の人生を振り返っても、ターニングポイントには必ず人の出会いがあった気がする。特にうちの上の子は3人の中でも何かと苦境は多いが、人との出会いには恵まれているな感じる。私もいつか誰かの助けになる人になれるんだろうか。
明日から8月。
あっと言う間に夏休みも中盤に入った。我が家の子ども達は中学生、高校生で自ら楽しみを見つけていく年齢ではあるものの、この夏、何か素敵な経験はできないかなとふと考えてしまった。
いつか行ってみたいと思っていたロケット教室。タイミングを逃してしまったけど、植松さんの講演会に行くと言う形で私の願望を叶えることが出来たのである。
これからも、「思うは招く」これは大切にしてみようと思った。まだまだ、私自身、やりたいことは沢山あるものだから。
今年の桜
昨夜は強い雨と風で夜中に目が覚めて
しばらく眠れなかった
今朝、道を歩いていると
案の定、満開だった桜も散り始めていた
だけど、まだ少し残っている
先週末は沢山の桜を見に行ってきた
歳を重ねると、一年に一度の
この季節をとても大切に
感じるようになった
夜の桜も綺麗だった
家族でおにぎりを持って川辺で食べた
ここ数年、誰かがいなかったけど
久々に5人揃って花見をし
ここで団子を食べることが
定番になってしまった
若い時は春が来れば桜を見ることが
当たり前のように感じていた
だけど最近は
自分は後何回、桜を見ることが
出来るんだろうと
ふと感じる時がある
できれば
来年もまた桜を見たい
受験が終わって、また受験生
例年より長く感じた、春休みがようやく終わる。
真ん中の子の受験も終わり、今度は上の子が受験生になった。「ひぃぃぃぃぃ」と思ったけど、うちの子は2学年差だから、これ、まだまだ受験は続くのですよ。覚悟あれ、私。
そんなこんなで、引き続き受験期に突入した我が家だけど、春休みはリフレッシュが必要かと旅に出かけた。
みんなで出かけるのも後何回あるんだろうと思うと、貴重な時間で、旅先で一足早く見た桜はとてもきれいでした。
受験期の私のミッションの一つは受験生のみならず、家族みんなにしっかりと食べさせることに徹していた。
野菜も肉や魚が一気に取れ、段取りも手っ取り早いので、週末は鍋ばかりだったけど、家族が揃い楽しく食べることは、なお体や心に良い気がした。
バランスよく食べて、体力の維持をしていると、万が一、風邪を引いてもリカバリーが何となく早い気がする。加えて睡眠時間もなるべくキープするようにしたり、どうでも良い雑談をする時間も大切にしていた。
確かに合格が出来たら嬉しいけど、親としては、どちらの結果でも良いと思っていて、とりあえずは後悔がないように元気な状態で試験を受けて欲しいという想いは大きかったと思う。
冬休みは少し体調が微妙な時もあったけど、結局、中学3年間は皆勤で過ごして、真ん中の子はこの春から第一志望校に通うことになった。
2人目の受験が終えて思ったことは、1年間通してモチベーションを保つことは難しい。
中学校に行っていたら、日々、人間関係でも色々なことが起こるし、成長期だから自分の感情を保つことが難しい時もあるだろう。
やる気の低下が続いた時期もあって、あの手、この手で再び自分のモチベーションを上げていたようだ。
真ん中の子の場合は長時間、勉強してもあまり疲れを見せないタイプだけど、日々、短時間でも音楽を聞いたり、本を読んだり必ず息抜きは入れていた。
真ん中の子の春休みは、沢山、友達と会って思い出を作りつつ、頭を抱えながら高校の予習に励んでいた。
幼稚園から始まり12年の付き合いの友達もいて、離れてしまうことにまだ実感が湧かないようだけど、これからはそれぞれ新しいスタートが始まるね。
高校はまた新たな通過点で、あっと言う間にまた過ぎてしまうだろうけど、そこで自分がどう過ごすのかを大切して欲しいし
コロナ禍で沢山の大切な行事を見送った世代だから、今しか出来ないことも堪能して欲しいなと思ってしまう。
いよいよ私立入試
先日に買ったスープジャーが大活躍している。
朝、お湯を沸かしあらかじめスープジャーを温める。前日に作っておいたものを温めて入れるのみ。慣れてくると普通の弁当より楽かもしれない。
豚汁、ロールキャベツ、ポトフ、麻婆豆腐とレパートリーも増えてきて、寒い間の高校生のお弁当はこれ一択になってしまった。真ん中の子の入試にはおでんにして欲しいと頼まれているが、どれくらいの量が入るんだろうか。
昨日、今週発売の「2月の勝者」の最新号を買ってきた。柴田さんに大号泣してしまった。(そして、後々の展開にはさっさと涙がひいた)うちの子達も楽しみにしている漫画。
中学受験の経験のない我が家にとっては、中学受験とはどう言うものかを知るきっかけになった。親子ともにどれほどのパワーがいるだろう。当たり前だけど高校受験とは全く違うな。
子どもが通う塾でも、中学受験コースがあり、この冬、真ん中の子も自習室では小学生と一緒に勉強をしていた。
そのうち1人の小学生の男の子は、先生の目を盗んでは本を読んだり、時にはコンビニにも脱走し、騒ぐ時もあり、連日、先生に注意されていた。
上の子はザワザワな環境がダメなタイプだけど、真ん中の子は基本、少々ザワザワしていても気にならない。そんな自習室に連日通うのち、6年生の女の子と仲良くなり、その小学生の男の子とも仲良くなり、先生から彼を託される立場へとなる。
彼と隣になった時はまず、その子の「本日の身の上話」を聞いてから、勉強を始めるのがルーティンとなった。自習室で小学生と中学生、立場が違うが同じ受験生としてともに勉強していていると、耳に入ってくる小学生達の知識量の多さには時に驚愕することもあったようだ。
真ん中の子はいう。他の小学生に比べ、彼はなかなか集中して勉強はしないが、毎日、小学生が自習室に来るだけでもすごいと思う。
自分が6年生の時を思い出したら、宿題以外では勉強することもなく、毎日、好きなことをして遊んでいたんだから。クラスの中学受験の同級生達がどのように過ごしていたのか、今になって知ることが出来たとも。
小学生の女の子はレジンにビーズ、勉強の息抜きに作っている作品を真ん中の子に沢山くれ、それを見ていた男の子の方も「自分も工作が得意なんだ」と話していた。そして、翌日に彼作の小さなハニワの人形が真ん中の子の塾の下駄箱に入っていた。
我が家の中3は宝物を得たように喜んで帰宅した。今、真ん中の子の筆箱はレジンに人形とジャラジャラしている。
沢山褒めた効果なのか、中学受験数日前には下駄箱に彼作の消しゴムハンコが入っていた。それにはちゃんと木の土台があり、クマのハンコと説明も書かれていた。
時間なき真ん中の子だったが、お礼にぬいぐるみを作成した。「受験頑張れ!」とメッセージを書き、クマのハンコを押して手渡した。
彼はそれを中学受験に持参したそうだ。無事に新しい進路が決まったようで、私までホッとしている。
中学受験シーズンが終わり、自習室が一気に静かになったある日、先生から預かり物の紙袋を渡された。
彼のお母さん作のポーチと彼作のテッシュケースと手紙が入っていた。手紙には感謝が綴られていて、親子で泣きそうになった。ポーチを見て、彼が手先が器用なのはお母さん譲りだと真ん中の子は言う。机の一等地にそれらが飾られ、最後の追い込みに励んでいる。
小さな出会いがちょっとした真ん中の子のエンジンになり、試験を控え緊張してるとは思うが、見たところ伸び伸びと過ごしている。いつもどおりが良いね。
いよいよ明日は初めての入試だ。
高校生と最近のお弁当
「私にとってお弁当の時間だけが1日の中で一番楽しみな時間だ」
上の子のこの言葉は嬉しいような、ちょっとプレッシャーのかかる言葉でもある。
「明日の弁当、何にしようかな?」と毎日、私には必ず考える時間がある。
うちの子は一日の中でお弁当の時間をを最も楽しみに生きている。たぶん友達と話したり、他にも楽しみはあると思うんだけど、元々、食べることが好きで、授業が続いた後のホッとする時間に食べるお弁当は特別なものがあるかもしれない。
子ども達が通う中学校では給食があるので、私のお弁当作りは上の子の高校入学から始まった。
思えば、子ども達の幼稚園の遠足時、小さなお弁当を作るのに1時間程、かかっていた。
どうやったら喜んでくれるか、あれこれ考えながら作っていたので、あんなにも時間がかかっていたのかなと思う。
今は忙しい朝に効率よく作れ、一日パワーが保てるようにと栄養重視になっている。自分に無理のない範囲で作るから、毎日、続けられるのかもしれない。これが特別な日のお弁当と毎日続くお弁当の違いなのかなと思う。
高校入学して直後は毎朝、慣れずにあたふたしていたけれど、前の日の晩ご飯を利用したり、今では手際よく短時間で仕上げるようになれたものの、春からはもう一つ、お弁当が増える。また朝のリズムが少し変わろうとしている前に、最近、私のお弁当作りのリズムが変わる出来事があった。
冬休み明け、高校が帰ってきた上の子が言う。
「あぁ、やっぱり冬休みって良かったなって友達と話していたんだよね。お昼ご飯が暖かいのがとても美味しかったって言うことが」
あんなにお弁当が美味しいって喜んでいたのに、あの短い冬休みの間で、お昼ご飯に対する感覚が変わってしまっていたようだ。
暖かいご飯が出てくることが当たり前でなく、有り難いことなんだなって、もう少し感じて欲しいと思ってしまった。
そして、新学期にスープジャーを持って来た友達の暖かい味噌汁がとても羨ましく見えたらしい。
確かに年明けから、一気に寒くなった。我が家でもスープジャーを導入してみても良いのかなと思うようになり、先週末、思い切って購入した。
普段のお弁当とまた段取りが異なり、使用勝手が慣れない中、作ってみた。
「あっ、粕汁かと思ったけど、食べ終わった後に美味しいと自然に言葉が出た」
何度も美味しいを連発してくれて、かなり絶賛だった。買って良かった。
5時間以上経過していたけど、冷めてることはなく、ほんのりと暖かかったらしい。
レシピを検索してみたら、スープジャーは色々と使えそう。ただ、今日は何が作れるのか研究時間を持ちたいので、ひとまず、申し訳ないけど、今日は通常弁当で登校してもらった。
受験シーズン到来、真ん中の子の受験におもうこと
先週末に共通模試、中学受験があったり、受験シーズンが到来した。我が家も真ん中の子が来月に私立高校の試験を控えている。
学業守を渡したものの
先日、真ん中の子の机を見れば、上の子が自分の時にもらった合格鉛筆があった。受験生だからと譲り渡したんだろうけど、すでにご利益は抜けているだろう。
トイレに、洗面所に、風呂場にさまざまななグラフや年表がベタベタと貼られていて、本人以外はちょっと落ち着かないけど、トイレの歴史の年表とかは何となくボーっと眺めてしまう。
「今の中学生はこんなに勉強しなくてはいけないのか!」と思うくらい、真ん中の子はよく勉強している。中学入学時を考えると、まさか、ここまでするようになるとは思ってもなかった。
早くから色々な高校の見学に行き、昨秋の説明会でようやく自分が行きたいと思える高校を見つけたことにより、エンジンがかかったようだ。
時間あれば塾の自習室に通っているものの、今のとこ苦痛さを感じさせない。
中学3年生の塾の年間費用はまるで私立中学の年間授業料に匹敵する程。上の子が中3になる前に真ん中の子を塾にいれてしまったことを悔やんでしまったくらいだった。
だから、末の子はまだ入塾はしていない。
どこまでお家学習で大丈夫か試してみたいところもあるが、最近、反抗期に家や学校以外に自分の場所があっても良いのかと考えるようにもなった。上2人の反抗期を通して、意外に子どもが塾に行っている間が親にとってもホッとしたり、頭を切り替える時間になっていた。
親の話をなかなか聞かない時期に真ん中の子は塾の先生の授業以外の様々な話には耳を傾けていた。良い先生に出会えたのは、本人にとっての財産だろう。
とか言って塾と子どもに相性もあるので、末の子が行くならば、まず性格に合いそうな塾を考える必要がある。
真ん中の子はこの冬に一足早く反抗期が抜けたようで、時にぶつかるが、とにかく、よく喋るようになった。一家に2人も反抗期の子がいると、私の身が持たないので、ちょっと救われた感じがする。
真ん中の子は問題集の印刷、今までの模試に出た漢字の抜き出しやら、私に色々な雑務を与えてくる。だから、最近、ちょっと忙しい。
残りの時間ももう少し。本人が後悔ないように過ごせるように、食事、話し相手、睡眠時間確保に気をつけてあげようと健康サポート係に徹しよう。